2010年10月25日月曜日

悲しみの先にあるもの

人間やってると・・・
辛い事、悲しい事沢山あります。

愛するものを失った悲しみは、どれほど心の傷を深くするでしょう。

それでも、残された人は、その悲しみを思い出に変えていかなければいけません。

最期の時間をどうすごしたのだろう?
苦しみはしなかったか?
痛みはなかったか?

失ったものの気持ちになって、、、、
もっとこうしていれば・・・もっと一緒にいれば・・・と自分を責めるものです。

愛犬を亡くした時も、愛猫を亡くした時も、苦しみから逃れるには多くの時間が掛かりました。
ふとした時に、涙は自然と溢れ出て・・・止め処なく溢れ出て・・・

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明日、私は通夜に参列する予定です。

会社の関係者のお母様が亡くなられました。
まだ、お若いのに・・・・

家族の気持ちはどんなにお辛いでしょう。
そう思うと、心が締め付けられます。


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生きとし生けるもの、生を与えられた時点から、「死」に向かって進んでいきます。
最期は「死」です。

誰も、死んだことがないから、死後の世界がどうなのか、本当の事は分かりません。
でも、生を受けた瞬間から、精一杯生きているのだと信じています。
だから、天国は皆が思うように、花が咲き乱れ、暖かい陽射しと澄んだ空気。
そして、痛みも老いも無い、悲しみも、苦しみもない、そんな世界であって欲しいです。

天国に行った先輩たちに会うために・・・
私は最期を迎えたい。
愛犬も愛猫も、おじいちゃんもおばあちゃんも天国で待っていてくれるから。

みんなに会えると思うと、
「死ぬ楽しみ」が出来たような気がします。

だって、大好きな人、大好きな動物に又会えるのですから。。。。

悲しみの先にあるものは、きっと「再会」なのでしょう。


再び巡り会える日まで、精一杯生きなければなりませんね♪



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